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(4)水田農耕のはじまりと村の起こり

香芝のあけぼの

(1)旧石器文化の遺跡

(2)石器のふるさと「二上山」

(3)縄文期の遺跡と文化


(4)水田農耕のはじまりと村の起こり

奈良盆地の主な河川が集まる海抜四十メートル位の低地部には、今まで縄文時代の遺跡がないと考えられていた。
 ところが、最近県営第二浄化センター用地の「箸尾遺跡」の調査で、縄文後期頃に、この低地にも人びとが生活していたことが確認され、注目を集めている。
 しかし、関屋桜ヶ丘や下田東、磯壁の各遺跡に人びとが住んでいた縄文時代の早・前期には、盆地の大半が沼地のような湿地帯であったと推定される。
 盆地周辺に降った雨水は、河合町や王寺町に集まり、亀の瀬渓谷を流れる大和川によって大阪湾に注ぐが、奈良盆地は何千年もの長い間に、低地部に土砂が堆積して水稲栽培の適地となった。
 全国的に有名な「唐古遺跡」(田原本町)では、稲作に使っていた石庖丁や鍬・鋤などの木器類とともに、多くの弥生式土器が出土し、初期農耕のようすを伺い知ることができる。
 大和に弥生文化が伝来したとき、まず奈良盆地の微高地周辺の低湿部に目がつけられ、水田を造成して稲作を始めたと考えられる。
いわば、稲作には最も適した土地が、奈良盆地のような低湿地帯だったのである。
 香芝市で弥生式土器や弥生時代の石器が出土した遺跡は、縄文時代の遺跡と複合する磯壁・狐井・下田東の諸遺跡と、二上山麓の田尻・穴虫・下田の新池の周辺や葛下川沿いの低地などである。
 概して水利に便な丘陵の谷間や、低地を流れる葛下川沿いの土地に分布し、主に弥生時代の中期以降の遺跡であるように思われる。
 新しく水稲栽培を取り入れた弥生時代の人びとは、食糧を生産自給し、経済的に生活が安定し始める。
 一方、社会的には、自分たちの耕作する水田に近隣する人たちと共同して生活しなければならなくなる。
 こうして始まった生活集団が、村のはじまりであり、この村落集団が漸次統合されて小さな国家を形成し徐々に統一国家へと発展していくのである。


(5)上牧の観音山出土の銅鐸